自宅の近くの書店、職場近くの書店、休日に立ち寄った古書店。
3か所すべてで、この本と目が合いました(笑)。
「これはもう運命なのでは……?」と思い、手に取ってみることに。
私は上野千鶴子先生のことも、遥洋子さんのことも、この本で初めてしっかりと知りました。
少し前、東大の入学式で「努力が報われる環境にいられたことを忘れないでほしい」という内容の祝辞を述べた先生の動画を見たことがあります。その先生が上野千鶴子さんでした。
「ああ、あのときの先生か」私の認識はその程度で、東大にはすごい先生がいるものだな、というくらいの印象でした。
勉強不足ながら、上野先生が社会学者であり、フェミニズム研究の第一人者であることを知り、本書がそのゼミでの学びをまとめた一冊だとわかり、ますます興味が湧きました。
想像よりも強度のあるフェミニズム
正直に言うと、読みながら何度か「うっ」となりました。
女性が社会の中でどれだけ不利な立場に置かれてきたか、どれだけ“女性らしさ”を求められてきたかが、はっきりと言語化されています。
もし遥さんの軽やかな文体でなければ、途中で読み進めるのが難しかったかもしれません。近年、動画サイトなどで「女性の代弁者」として語る人が議論の場で強く批判されている場面をよく見かけます。そうした光景を目にするうちに、「フェミニズムは行き過ぎているのでは?」という感覚を、どこかで持っていたのも事実です。でも、それが本当に“行き過ぎ”なのかどうかは、実はよくわからない。
大衆の一人である私の感覚が、どこから作られているのかも含めて、考えさせられる一冊でした。
「思想」よりも「戦い方」
この本のタイトルは、「フェミニズムを学ぶ」ではなく「ケンカを学ぶ」です。
印象的だったのは、議論の場で不利になりやすい立場から、どのように論点を整理し、問いを立て直すか、という部分でした。
相手の主張をただ否定するのではなく、「そもそもその前提は妥当なのか?」と問い返す姿勢。
論点をずらすのではなく、
論点を“深める”。それがうまくできると、議論は感情論から一歩進みます。
でもそれは簡単なことではなく、的確な問いを選ぶための訓練が必要だということも、よく伝わってきました。
東大の大学院生は宇宙人ではなかった
東大の院生、と聞くと、つい「頭が良すぎる宇宙人」を想像してしまいます(失礼ですが)。
でも本の中に登場する学生たちは、確かに知的で論理的ではあるものの、ちゃんと対話をしようとする人たちでした。
「わからない人」に「わかる言葉」で伝えられること。
これは、賢さの中でもとても重要な能力だと思います。
私自身、大学院に通うようになってから、自分の研究分野に興味を持ってくれる人に説明しても、前提知識や価値観が違うだけで、まったく違うものとして受け取られてしまうことがあると知りました。
研究に関心がない人に説明するのは、さらに難しい。
社会に出れば、価値観も背景も違う人と対話することが当たり前になります。
だからこそ、「伝わる言葉」を持つことの大切さを、できるだけ早い段階で学べるのは、とても意味のあることなのかもしれません。
少し硬めの読書記録になってしまいましたが、
たまにはこういう本も、悪くないですね(笑)。

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